こんにちは、こまこです。
今日は少し重たい話になるかもしれません。
それでも、過去の私と同じように苦しんでいる誰かに届くならと思い、
書いてみようと思います。
■ 経済的にも精神的にも、もう限界だった
東京での一人暮らし。
夢を抱いて上京したけれど、現実は厳しく、体調を崩しがちな日々が続いていました。
だけど、私は実家にだけは戻りたくなかったんです。
実家には安心できる空気はなかったし、地元にも良い印象がなくて…。
「絶対に帰らない」って、あの頃は強く心に決めていました。
でも、仕事も続かず、お金もどんどんなくなっていって、
それでも「なんとかしなきゃ」と無理を重ねていた私は、
気づいたときには、心も体もすっかり限界を超えていたのです。
■ 目を覚ましたら、白い天井と鍵のかかるドア
その日、私は救急搬送されていました。
意識を取り戻したとき、目の前には白い天井。
周りに窓はなく、床にはマットが一枚敷かれているだけ。
そこは「保護室」――精神科の救急病棟にある、外から鍵がかかる小さな部屋でした。
でも、そのときの私はそんなこと何も知らず、ただただ混乱していました。
「ここはどこ?」
「どうして私はここにいるの?」
「すみませーん!誰かいませんか?」と何回も声を張り上げても一向に誰かが来るような気配はありません。
やがて過呼吸のような感覚になり、私は怖くて、どうしたらいいのかわかりませんでした。
後に「神経衰弱」と言われます。

■ 保護室で感じたのは、孤独ではなく「絶望」だった
もちろん、治療や安全のために必要な措置だと、
今なら理解できないわけではないけれど・・・。
でも、当時の私にはただ、人間扱いされていないような感覚でした。
誰にも気持ちは届かず、
ドア越しに声をかけても返事は返ってこなくて。
「私は、このままずっとここに閉じ込められるのかな」
そんな不安で、時間の感覚すらわからなくなっていました。
■ あのときの私に、今の私が伝えたいこと
あの保護室で感じた恐怖と絶望、悲しみを思い出すと今でも胸が苦しくなります。
でも、それでも今、私はこうして生きています。
あの頃から少しずつ、少しずつ回復して、自分の人生を取り戻しました。
もし、今あなたが
「どこにも居場所がない」
「誰にもわかってもらえない」
そんな思いを抱えていたとしたら、どうか忘れないでください。
あなたは弱いのではなく、もうずっとがんばってきたのです。
たとえ今、出口の見えない長いトンネルの中にいたとしても、
必ず光とともに出口が見える日がやってきます。
それは、私がそうだったからです。
今日もここまで読んでくださって、ありがとうございます。
こまこ🐈💕
統合失調症だけど、猫のしっぽがかわいくて。 
